13:55 施食会開始前
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施食会、戦没者慰霊祭の終了後、例年通り和尚さまから素麺が振舞われた。
この席で和尚さまから「大日如来」について貴重なお話があった。
本日は大勢の方、お暑いところをお集まりいただきまして、大変賑やかに先祖のご供養、
施食会ができましてほんとにありがとうございました。大変ご苦労様でございました。
本日は特に大日如来のことをお話しをしたいたいと思いますので、少し長くなるかもしれませんが
この話をさせてください。
皆さんご承知のように今年の3月3日に、おまつりしてあります大日如来が市の文化財になりました。
盆踊りを無形文化財、大日如来は形がありますので有形文化財です。文化財に指定
されたってことは昔の物で大変値打ちのある物だから皆さんで大事にして行きましょうと、そういうことで
もって指定されたものだろうと、こんなふうにとらえていただきまして、これから大事に永くお祀りをして
いかなきゃならないな、この私も思っております。
大日如来といいますと....一本の木でもって彫ってあって、いつかどこかでアメリカの方のオークションで
出された大日如来で、十何億、14億だか16億だか、そういう値がつきましたが、その大日如来よりもまだちょっと
ここの大日如来の方が古い訳なんです。あそこの大日如来は有名な人、運慶でしたか、有名な人が彫ったので
ああいう値がついたと思いますが、ここの大日如来は有名な人ではなさそうなんです。誰が彫ったかわかんなく、
少し素朴な彫り方だというんですが、素人っぽいようなとこもあって、それがいいんだと、そんなようなことを
言っておりました。ウチップリを施さない彫り方、.....ここのはお腹ん中を彫ったっていう
そういう彫り方じゃないんだそうです。ですからもし売れてもそんなにゃしないでしょうけどね。
平安時代、10世紀頃の作ではないだろうかと...静岡市内では屈指の作であると、そういうようなことで指定を
するということでありました。
古いものがここにある訳ですが、何故ここにあるのかっていうようなことが一切わかりません。有東木の村ができた
よりもね...にできたんだろうと思うんですけども。でも何時頃ここへ持ってきたのか、誰が持ってきたか、
っていうようなことも全然わかんない。それを調べようとして調べてくれた人があります。由比の方の人で、
調べてくれたんですが、全然わからないということで、また色々調べてみてわかったことがあったら知らせますよ、
ってそういうようなことを言ってきておりますが、今の所わかっておりません。
大日如来っていうのは曹洞宗のお寺ではあんまりお祀りされておりません。
曹洞宗よりもっと古い、真言宗ですか、そういうお寺にはよくお祀りされております。
東北の方に大きい大日如来があります。京都の方にもありますけどね。
大日如来にも二通りありまして、一つは座禅をしているような形のがあります。それからここにある大日如来は、
人差し指を、片方で、こういう風に、こういう形ですね、これは知拳印(ちけんいん)を結んでいるっていうことで、
考える形をしていると、そういうようなことだそうです。知恵と慈悲をもってキリシタンの人達を
救ってくれたそういうような仏様のようです。曼荼羅っていって掛け軸の中に沢山の仏さんを描いたのがありますが、
その仏さんを描いた中には大日如来が真ん中に描かれております。宇宙全体を司る仏様として崇められているようです。
大日如来の「日」という字は太陽を表し、宇宙全体を司る仏さん、そういうようなことだそうです。
14:26 戦没者慰霊祭
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有東木でも大分前から色んなことで皆さんの先祖さんとかかわりがあったようです。
昔は大日如来の縁日がありました。これは知っている人もあると思いますが、2月の節分の後で初めて来る牛(うし)の日ですね。
初午(はつうま)っていうのは聞きますけども、有東木は初牛(はつうし)でした。初牛の日が大日さんのお祭りでして、
あそこのお堂を開けて、お札をあそこで売ったり、あそこへお参りする人があって、大変お寺の境内が賑わいました。
その頃露天が何軒かありまして、おもちゃ屋さんが出たり、お菓子屋さんが出たりしながら、
ほんとに賑やかな一日を過ごしたっていうのが、初牛の一日でした。子供たちも大勢来たり、大人の人も来てほんとに賑や
かだったんですが。私たちの小さい頃、
おもちゃを買ってもらったりっていうことを覚えております。それがだんだん戦争が激しくなって、それができなくなって、
終戦になって平和になったから、もういっぺん昔のことを、いうようにやりたいと、そういうような意見が出まして、
二人くらいですか、一生懸命賑やかにしようと思って色んなことを工夫してやってくださった方があります。二人、三人くらい
いましたかね。一生懸命やってくれたんですが、中々うまくいきませんでして、とうとう集まる人がいなくなってしまって、
初牛の縁日はできなくなってしまいました。だけども初牛の大日如来の縁日を無くすのはまずいことだからって言って、
こんどは子安観音さんの縁日、16日ですよね。お盆はそのままで、正月の「ナンマイダ」の日です。百万遍のその日に
子安観音さんをお祀りして、それから大日さんをお祀りしようと、そういうことで、やっております。そこで一緒に
お祀りしようと、そういうことになりました。あんまり大日さんの方は知らない人があるんじゃないかと思いますが、
そういうことになっております。
それからお堂についてですけども、昔私が小学校へ上がる前の頃でしょうかね、台風がありまして、その頃台風って
言いませんでしょ、「シケ」とかって言ってましたけど、大きな風が吹いて、お堂が前へ倒れたんです。
前向きに倒れてしまって「大日さん」も、こう、有東木の言葉で言うと「つんのめる」、そういうような
格好で前向きに倒れていました。後ろに輪があるんですが、その輪がいくつか割れてしまっていました。それを
修理して、その時にお堂を直して、その頃ちゃんとできてないもんだから、電シンでもって、針金の太いので吊ったりした
ことがありました。その後コンクリで下をやったりしたりして、大分頑丈になりました。お堂をどの程度直したかっていう
のは私子供なので...それは知りません。その頃のお堂じゃないかなぁ、と思います。
耳の悪い人が何か、願を掛けて、お参りをしたようです。どういう風にしたかって言うと、石を拾って来まして、
普通の石じゃなくって穴の空いた石を拾って来て、供えて、願を掛けて耳の病気が治るようにって拝んでおりました。
それから、歯の痛い人、歯の痛い人は「楊子」を作って来て、なんで作ったのか、なんとかって言いましたね、私は
覚えていませんが、楊子を作って、上げて、歯の痛いのを直して...拝んだようです。
そういうように、時々お参りをして、大日さんのお陰で元気になったんだよ、っていうようなおばあさんがおりました。
そんなようにお参りする人が多かったようです。
13:28 施食会の受付
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もう一方では子供も大変お堂を利用しました。昔はどの家にも子供が4人も5人もいまして、雨が降ったりすると、
特に男の子でも多い家庭だと大変家の中がガヤガヤと騒がしくなります。「お前ら、外へ行って遊んでこーい!」
って言われまして、子供は皆外へ放り出された気がします。雨が降って傘を差しながら外で遊んだり、軒端で
遊んだりしたんですが、その内元気のいい子が5、6人集まったりして、お寺へ来て「お堂を貸してくださーい」
って言って来るんです。
家の父親も「ああ、いいよ」って呼ばっていました。私も一緒になって出て行ってはお堂の中で遊んでいたんです。
畳を敷いてあるとバタバタして畳が切れてどうしようもないもんだから、畳は外してありました。そこの板敷きの上で
ドタンバタンやって...。今戸がありますが、格子戸がありましてね、今はビニールを張ってありますから登れません
けど、あそこへ登れました。あそこへ登って上からドデーンと下の方へ飛び降りてみたり、そんなことをしてよく遊んだもんです。
よく、「きのこ採り」っていう遊びがありましてね、どんなルールの遊びだったか覚えていませんが、そんなこと
をして遊んだ覚えがあります。お堂を遊び場に使ったり、お参りに使ったり、色々有東木という集落とお堂との繋がり
っていうのがうんとあった訳なんです。
終戦になって、色々な事が変わって来て、世の中も変わって来まして、大日さん何処にあるのか、大日さんなんていう
事も知らなかったり、お堂も知らなかったり、そういうようなことになってしまったので、この頃大日さんって何処にあるのか、
っていうような方もあるんじゃないかな、そんなようなことを考えまして、今お話している訳です。もし他所の人が「お前っちほうに
大日さんっていう文化財になったすばらしい仏像があるんじゃないか」、「ほうか、何にも知らのやー」なんてことじゃ、やっぱり
まずいと思います。「このお堂の中の真ん中に座っている仏さんがそうだよ」っていうことぐらいは教えて上げられるように
していただきたいな、と思います。
そんなことで長々としゃべりましたけども、どうかよろしくお願いします。
町内会長から、@庫裡の上の楠の枝切りについてA墓参道の整備について、お話がありました。
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